終戦記念日にむけて

 昨今、排外主義的な言説を見聞きする機会が増えてきました。不法滞在者、非正規滞在者、無登録滞在者などを一括りにして、有耶無耶にしてはいけないという論調が、社会の中で幅をきかせています。

もしも、制度の外に落ちた命を「違法」と呼ぶのなら、法は一体誰のためにあるのでしょうか。

不法滞在の背景には、在留資格の失効、DVや人身売買の被害、難民申請の遅延など、単純な合法/違法の二項対立では捉えきれない複雑な事情があります。

僕は9月で53歳になります。
この節目を前に、8月15日という日を、改めて真剣に考えたいと思っています。
憲法前文、11条、97条に記された「国民」という文言について、僕はそれを単なる国籍保持者に限定して解釈すべきではないと考えています。
そこに込められているのは「人間の尊厳」であり、基本的人権はすべての人に普遍的に保障されるべきものだと思います。

この権利が保障されなかった時代、日本は侵略の道を進みました。
生活の困難を外国人のせいにする世論が、排外主義へと傾き、右傾化を加速させました。
靖国神社には、朝鮮人旧日本兵が約12,000人合祀されています。
彼らは本当に、自ら望んで日本のために戦ったのでしょうか。
日本人から暴力を受け、戦場では最前線に無理やり送り込まれた人もいました。

この構造の根底には、差別があります。本人や遺族の承諾なく合祀された朝鮮人兵士たち。
猫も杓子も一緒くた、日本人の都合で「石ころ」のように扱われた命が英霊として合祀されていることを、僕たちは決して忘れてはならないと思います。祀られているのは英霊でも神ではなく、人だからです。