Civil War
スペイン内戦
スペイン国に「王様の家」と「軍隊の家」と「立憲派の家」があった。
王様の家は長いあいだ国を治めてきたが、時代の流れの中で人々は
「もっと自由に暮らしたい」「選挙で国を決めたい」と願うようになり、
1931年、王様は国を出ていった。
王様がいなくなったあと、立憲派の家が国をまとめることになった。
1931年から1936年にかけて、彼らは
「みんなで選んで、みんなで決める国」を作ろうとした。
学校を増やし、土地の制度を変え、教会の力も弱めようとした。
しかし軍隊の家はこう思った。
「急に国を変えすぎだ。秩序が壊れる。伝統が失われる。」
軍隊の家の中には、王様の時代を懐かしむ者もいれば、
強い中央集権を望む者もいた。
彼らは次第に不満を募らせていった。
そして1936年7月、軍隊の家はついに立ち上がった。
「このままでは国が壊れる。力で止めるしかない!」
こうして軍隊の家は反乱を起こし、
立憲派の家は「選挙で選ばれた政府を守れ!」とそれに応戦した。
国は二つに割れた。
・軍隊の家には、伝統を守りたい者、教会、地主、そして外国の独裁国家が味方した。
・立憲派の家には、労働者、農民、知識人、そして外国の反ファシズム勢力が味方した。
王様の家はすでに国を出ていたが、
軍隊の家の中には「いつか王様を戻すべきだ」と考える者もいた。
しかし戦いが進むにつれ、軍隊の家の中心に立ったのは
“王政復古ではなく、自分の独裁”を望む将軍だった。
三年の戦いの末、1939年、軍隊の家が勝利し、
国は王様でも立憲派でもなく、
将軍の長い独裁のもとに置かれることになった。
独裁の影は、1939年から1975年までスペイン全土に広がった。
どの町にも検閲が置かれ、新聞も本も歌も監視され、
政治を語ることは禁じられ、沈黙が国じゅうを覆った。
労働組合は解体され、反対する者は牢に入れられ、
国はひとつの形だけを強いられた。
その影の濃さは、土地によって異なった。
アンダルシアでは、労働者や農民への報復が激しく、
フラメンコの深い嘆きの歌は表では歌いにくくなった。
代わりに、観光向けの明るいフラメンコが奨励されたが、
本当の声は地下で細く長く続いた。
カタルーニャでは、1939年以降、言葉も旗も祭りも禁じられた。
学校からカタルーニャ語が消え、街角の看板も変えられ、
人々は自分の文化を家の中でそっと守った。
しかしその沈黙の中で、
移民たちのビートと混ざり合い、
新しい風が生まれた。
それは抑圧の時代に残された、数少ない自由なリズムだった。
バスクでも言語と文化が厳しく抑えられ、
沈黙が深く積もった。
ガリシアでも、古いガリシア語が公の場から消され、
詩人たちは声を潜めて言葉を守った。
バレンシアでも、地方の自治の記憶が薄れ、
街の色がゆっくりと塗り替えられていった。
アラゴンでも、かつての王国の誇りは語れなくなり、
歴史は静かに棚の奥へ押し込まれた。
戦いに勝った家も、負けた家も、国を出た家も、
そのどれでもない人々のあいだから、
歌とリズムだけが静かに残り、国の深いところで息をし続けた。
政治が国を割り、沈黙が国を覆ったとき、
音楽だけが、地下で人々をつなぎとめていた。